六条修理大夫・藤原顕季(ろくじょうすりのかみ・ふじわらのあきすえ)
六条藤家の祖で、白河院の乳母子、かつ男色相手の藤原顕季です。
顕季は、
父、藤原隆経
母、藤原親子
で、ぱっとしない家柄の生まれでした。
しかし、母が白河院の乳母だった縁もあり、白河院の幼い不遇の時から付き従ってきました。
そしてめでたく(?)白河院の寵愛も得まして、白河院が権勢を振るっている傍で繁栄を謳歌し、六条藤家の基礎を築きました。
『今鏡』(上)「すべらぎの中 第二 釣せぬ浦々」
では、漢詩文が苦手で、そのせいで身分的に上に上がれなかった事が述べられています。以下、現代語訳を引用します。
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六条修理大夫顕季といった方は、世間の評判もよい方でございましたが、敦光といった文章博士が
「どうして貴殿は宰相におなりにならないのですか。宰相になる道は七つございます。その中で、貴殿は三位でいらっしゃるようです。また、五カ国の受領を経た人もなると(記録には)見えております」
といったところ、顕季殿は、
「顕季もそう思って、帝の御内意をうかがった所、『それも漢詩文が作れてのことだ』とおっしゃられたので、(宰相のことは)それ以上申し上げるに及ばないで終わってしまった」
とおっしゃられたのでした。
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漢詩文が苦手な一方で和歌を好み、柿本人麻呂の肖像を飾って供養し、和歌の上達を願うという人麻呂供養も始めました。
六条藤家の面々は、家成、隆季、成親ときらびやかなイメージがあるのですが、まだ顕季の頃は、上流の方々との縁組はされていなくて、素朴な雰囲気をもっていたのではないのかな〜と思い、野球少年のようなかわいらしい面持ちで描いてみました。
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